私達は言葉に踊らされている
そもそも、元は言葉なんてなかったのに、
人類の文明?文化?脳の発達?
とかで1つのことを遡って説明できるようになってしまったから苦しんでいるのだ。
脳が供給源なのに、ありもしない心とか感情という言葉を作り出し、
意味や価値、目的、モラル、常識、雰囲気とかを追いかけて定義づけようとしてそれで安心しようとするのだけれども、
この水はどこから流れて来てどこに流れ着くのか、
川を見ていたら流されてきた草がどこに行き着くのかを確認しようとしても結局見失うように、
今吹いた風がどこにいくのか追いかけてもどこに行ったのか謎なように
すべての事柄はわけがわからなくなっている。
だけど、ものや現象がどうやって発生してどこに行き着いてどう落ち着くのかを理解できないと、納得できないし不安になるんだよね。
苦しい苦しい。
言葉にできるからこそ苦しいのだと思う。
中途半端に組み上がるプラモデルをもらって、
意気揚々と組み立てていくのだけど、結局最後まで組み上がらない。
みんな、生きる意味とか、
そもそも、生きるとは?好きとは?とか、
うまく言えない、普遍的なものなどあり得ないものについて、死ぬまで考え込んで議論をしていくだけなのだ。
どういうことですかねぇ…
めんどくさいですねぇ…
私は、
自分の目から見えて脳に入る事柄と、それについて思考を巡らせたりしたりの全てが、
脳内伝達物質を刺激して、
それによって形成されるあれやこれやが、自我であり、世界である説を推す
なんか意味がわからなくなってきたけど
あと数日したらまた考え変わるかもしれないけど
あーでも、言葉があってよかったのかもね。
生きる苦しみをごまかすために、
辛い、苦しい、虚しい、楽しい、嬉しいなど自分の心の内のスパークしたものを吐き捨てられるように出来たほうがその生き物は長生きするのかも。
言葉でもジェスチャーでも表情だけじゃ他者に中々伝わらないし、そういう目的から言葉ができたのかもね。
一人じゃないと落ち着けるように、共感できるように。
でも結局それによって苦しんでる信じられないような愚かな生き物が人間なんです。
とっても悲しくて、虚しくて、楽しそうで、とっても寂しい生き物です。
はぁ、こんな現実逃避している場合じゃない。
勉強しないとやばい。
6月に1個、受けて、7月に2個受けたくて、11月にも受けるのがある。
はぁはぁ、さっきまで勉強に詳しい立派なお方が、応援してくれる人のおかげで、胃に差し込むような痛みと頭痛がガンガンしてて…
だけど、今回は逃げられない。
やらなくては。
無理だったらその時また考えるわ。
しゃーない。
はぁぁぁプレッシャーで気絶しそう。
身体が震えて汗ダラダラだよ。
今日だけでその人と電話で3回話したよ。
こっちはなかなかメール返せないでいたら、今日8通きたよ。
S!メールでも2回もメール見てるかの追撃あったし、電話自体は今日5回来たのかな?
物凄い熱意で私を押し上げてくれようとしてて信じられないような優しさで、それに感動する。
が、追い立てられてるように、責められているように感じて恐怖しかない…。
苦しいよう苦しいよう。怖いよう。