よくある話し

割と健康になっためんへらが日々思うこと

めんどくさい

はぁ、仕事行きたくねー

毎日毎日思うけど、すれ違う人とか親とかって本当に生きてんのかね?

私が見てないときは停止してるとか、ホログラム的なものじゃないんですかね。

それぞれの人生があるとか理解はしてるけど想像できん。

というか、そもそも自分の見てたり感じてたりする世界が本当に実在しているのかも分からん。
なんで今夢見てないって言えるのだろう。

夢を見てるか見てないかとか、一応機械とかで計測とかできるけどさ、もうそれ自体も夢の中の出来事かもしれないし、現実ってなんだ?

一応この世界の定義では生きているってことになってるけど、いつか目を覚ますときが来るのか、誰かの気まぐれで急に消去されてしまうとも分からない。

楽しいとか悲しいとか嬉しいとか、感情とか自我も脳の伝達物質の反応?だと思ってるから、
言ってしまえば、産まれてから死ぬまで点滴みたいので多幸感を感じる物質を絶え間なく流し続けていればいいのではないか?と、本気で思ってる。

なんでそれがだめなんだろう。

それが原因で早死するとか健康を損なうとかもどうでも良くね。全部麻痺させちゃえばいいのに。

みんな、なんで当たり前のように
自分に自我があってそれがアイデンティティだと思ってんだ?なんでみんな自分が見てるものが現実なのかどうなのか疑問に思わないんだ???

私はずっとそれが疑問で気になっている問題で、
身体がふわふわした感じになるよ。

例えば昔、私、何回も自殺未遂したけど、
本当は完遂できてるけど意識だけが続いて日常を送ってるつもりになってるんじゃないかなぁ、とか、
自殺未遂何度もして、そのたびに実は死んでて、
私の知らない次元のとこで私の意識が他の人生送ってるのかもなぁとか、私誰で、外部からの刺激をシャットダウンずっとしたらどんな反応するのかなぁとか、生まれた自我という反応はどこに収束するのかなとか、じゃあ産まれてから一度も外部からの刺激を受けなければ、私はなんにも感じないまんま命だけあるけど意識が生まれない状態になったのかなぁとか通勤しながら考えてる。

はーでもどうでもいい。
痛みと苦しみがなければ当面問題ない